「日本三大怨霊」の一人とされる平将門。その首が祀られているとされているのが将門の首塚です。ここに軽い気持ちで行くと祟りがあると昔から恐れられているため、行ってはいけないという説もありますが、本当なのでしょうか?
また、怨念の噂と参拝方法なども解説します。
将門の首塚に行ってもいい!
将門の首塚に行ってはいけないという説もありますが、一方で、出世の後利益があると言われています。これは、将門が武勇に優れ、関東の八か国を制圧し、新皇と名乗ったことから、その気概や野心を尊敬する人が多かったからです。
特に江戸時代には将門を神として祀る神田明神が江戸の総鎮守として崇敬されていることから、ビジネスマンや受験生など出世や成功を願う人が多く訪れているパワースポットとなっています。このことから、将門の首塚に行っては行けないというのは昔の噂で現在は行っても問題ありません。
将門の首塚:怨念の噂とは?
将門の首塚には怨念の噂が多く出回っています。それは将門が志半ばで討たれた将門の恨みの凄まじさが関係しているようです。そのため、将門の首塚を粗末に扱うとその怨念によって祟りが起こると言われるようになったとのこと。
ここでは、その怨念とはどんなものだったのか調査します。
大蔵省の役人たちが次々に不幸に
大正時代に関東大震災の被害を受けて塚が取り壊され、その跡地に大蔵省の仮庁舎が建てられました。しかし、その後大蔵省の役人や工事関係者が相次いで病やケガに倒れ、当時の大蔵大臣・早速整爾を含む14名が亡くなりました。
雷により大蔵省全焼
その後も怨霊を鎮めるために毎年慰霊祭が行われていましたが、第二次世界大戦に突入して人手て物資が附属すると慰霊祭も次第にないがしろになっていきました。そして大嵐の日に大蔵省庁舎に落雷があり、全焼したのです。
この事件が起こった昭和15年は、将門の没後1000年にあたる年だったことから怨念は続いていると恐れられました。
工事中の事故
戦争が終わり、GHQが東京にやってきたのですが、首塚のことを知らないGHQは、駐車場を作ろうとして首塚の撤去工事を開始。すると工事中にいきなりブルドーザーが転倒し、運転手が亡くなりました。
日本長期信用銀行の社員が倒れる
高度成長期になると、首塚の周辺の土地は一部を残し国に売却されました。金融機関に買い取られ新たに日本長期信用銀行が建設されましたが、首塚に面した部屋の社員が次々と病に倒れたのです。
その後1998年には経営破綻することになるのですが、これも将門の怨念によってのことではないかと言われています。
将門の首塚:参拝方法は?
将門の首塚は現在パワースポットとなっているだけではなく、連日のように多くの人が訪れる観光スポットにもなっています。ご利益があると言われている一方、将門の祟りは現在でも信じられているということで、ここでは参拝方法について調査しました。
鳥居をくぐって手水舎で手足を清める
将門の首塚の入口にある鳥居をくぐって境内に入り、手水舎で手と口を清めます。
拝殿前で二拝二拍手一拝
拝殿の前まで行き、二回お辞儀してから二回拍手をし、最後に一回お辞儀をします。
御祈願やお賽銭をし、境内を出る
お祈りする内容を心の中で思い浮かべ、お賽銭を入れる場合は、お賽銭箱に投げ入れます。参拝を終えたら、境内を出ましょう。
最後に
今回は将門の首塚について調査してきました。将門の首塚は現在パワースポットであり観光スポットになっています。つまり、参拝しても問題ありません。無念の死を遂げた将門の怨念には様々な憶測が飛び交っていますが、それだけ世に大きな影響を残した武将であると言えるでしょう。
紹介した参拝方法を参考に、将門の首塚にご利益をもらいにいきましょう。